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  自己紹介

○  1948年生まれの古希過ぎたおじさん? おじいさん!  
    横浜生まれ・横浜育ち    一時転勤で大阪に在住

○  鉄道以外の趣味    ◎B級グルメのお店開拓
                   (高くて美味しいのは当たり前、B級は調理人の腕・裁量が問われる。料飲業界にいて裏を見ているので一寸厳しい)
                   特に、パン・ケーキ、中華には一言あり、日本酒もこだわりが強い!!
                  ◎美術館めぐり
                   全然詳しくない全くの素人。印象派の絵が好みで、女房と一緒に近隣・旅行先で訪問しています。
                  ◎音楽鑑賞
                   ジャズ・ラテン・クラッシクこれもまったく素人の域,ウンチク言えるレベルではなし。一服の清涼剤程度です!

○ 趣味暦           ◎小学生のころから漠然と鉄道は好きでしたが、趣味というまでは行っていませんでした。
                   初めて東京(父親の勤務先)まで一人で東海道に乗ったとき(80系)、横浜から品川までノンストップに(当時川崎は
                   横須賀線の駅で東海道は止まらない)非常にびっくりしてゆっくり座っていられなかった。品川についておもわず
                   先頭車に行き急行HMが付いていないか確かめに行った記憶があります。

                  ◎中学に入り、友人がHO模型やっているのをみて部品もらい作り始めたのが「鉄」のきっかけです。
                   当時は今のように情報誌も少なく(小遣いも少なく)資料入手は困難で車体を作るのに苦労しました。
                   横浜駅にメシ゜ャーもって横須賀線の窓配置など計っていましたが、車両によって違いがあることに気づき
                   写真撮影をはじめるきっかけとなりました。

                  ◎写真と言っても、現在のように高品質のカメラが手軽に買える時代ではなく、父親の二眼レフ(戦後の粗悪品)で
                   撮り始めました。フィルムは残っていますが(写りも・写真屋の現像仕上げも)最悪の状態です。
                   こんな状況見ていた父親が、当時流行のハーフ判カメラ(キャノンデミ)を買ってくれ行動範囲が少し広がりました。
                   このハーフ判も当時としてはそれなりでしたが、今見るとこれもサイズが小さい為スキャン取り込みしても
                   画質荒すぎてご披露には躊躇するところです。(時折貴重写真は恥ずかしながらご披露していますが!)

                  ◎高校になり1年の終わりの春休みに名古屋まで一泊旅行したのが「鉄撮り」旅行の初めです
                   東海道沿線の私鉄めぐりがメインでした。(今は無き静鉄のDC、近鉄に合併前の三重交通なども撮れました)
                   でもまだカメラはキャノンデミです。

                  ◎高校2年生になり、勉強もまともにせず授業中に机の下で「電車ガイドブック」広げていたような気がします。

                  ◎この辺りから次第に「鉄」熱が上がりまじめ、毎年地方に「撮り鉄」に出かけるようになります。
                   大事な受験の時期でしたが、勉強疎かになり希望大学は残念な結果に!!滑り止めで納得!!

                  ◎大学時代は、授業はまじめに出席(但し2年の時は学園紛争)しつつ、アルバイトしては撮影旅行の繰り返し。

                  ◎就職後も土日定休の業態でなかったので、比較的希望休みが取りやすく(土日休みが完璧に取れない時期もあったが)
                   撮影旅行はしやすかった。東奔西走の日々でした。
 
                  ◎24歳の時一応全国の私鉄は全て訪問しました(完乗派ではないので、全線乗り鉄はしていませんが)
                   その後も多少の濃淡はあるものの平均して趣味は継続、結婚・子供の誕生はあまり影響なし!!
                   全私鉄訪問後も、第三セクターやら新線の開業・廃止、国鉄からJRなど話題は尽きず現在に至っています。


  カメラ

     ◎カメラそのものに執着は無いので、古いカメラは使用終了毎に廃棄・下取りなどで手元には何も残っていません

      使用したもの、思い出してみると、出だしは趣味暦にも書いたように、戦後の粗悪品の「二眼レフ」(メーカー不明)
      続いて、ハーフ判の「キャノンデミ」

      「ペトリのレンズシャッター ・ ヤシカの一眼レフ「も短期間使用したことがあります
      大学の三年くらいから「ミノルタのSRT101」を使いはじめ、しばらくはこれ2台を使用したと思います。
  
      就職した時に会社のカメラマンが「マミヤC330」を使っているのをみて欲しくなり、少ない給料こつこつ貯めてゲットしました
      しかし、6×6は画面的に余白が多いのと、DPEで焼く時にサイズ・値段で高価になる為、あまり価値を見出せなかった。
      ただ、ブローニは画質の点では満足できるのでセミ判が理想でした。

      その後、ミノルタ製品形式不明を幾つか買い替え使用してきました
      そんななか、マミヤがセミ判を出したので,飲み代貯めて「マミヤ645」を購入、これは威力発揮しました。

      カメラはオートフォーカスの時代に入り始め各社新製品に移行しましたが、長年使用してきたミノルタのオートフォーカス機には魅力感じなく
      この時点でニコンに変えました。

      長年ミノルタだったので、ニコンに変えても高級機に一気に移行は予算的に無理があったので、最初は普及機の「F601」でスタートしました

      しかしこの辺りからの技術の進歩が早く、一年ごとに新機種が出てくるような感じて、普及機の弱さが目立ったので
      清水の舞台からから飛び降りるつもりで「F 4」を購入、その後「F 6」も買いました。
      
  
      しかしデジカメ始めてからはフィルムカメラを使用することなく、デジカメも年ごとに進化して古いものは使うこともないと判断
      近年年齢のことも考えて不要なものは整理することを心がけ、使用していないカメラはすべて廃棄処分し軽量なカメラで過ごしています。

  


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